眠れないから大学の講義について①

 ぐーてんもるげん☆(cv 黒沢ともよ)というふうに健康的な睡眠とさっぱりとした目覚めを望んでいるのだが、中途半端な時間に寝たためどうも寝付けずもうすぐ5:00である。。。どうせ眠れないのだから、昨日の授業でおもしろいと思ったところをPICK UP!!

 

◯自己責任、自助努力

 世界経済に関する講義。新自由主義政策による格差拡大などさまざまな話があったが、その中で「自己責任・自助努力」についてのものがとっても面白かった!

 資本主義社会は「頑張った人が報われる社会」である。みんな平等を目指した共産主義社会は働く意欲を削いで結果崩壊。頑張ったら頑張っただけ対価が得られる!こんな社会素敵やん(紳助風)というのは市場原理主義者が唱えがちである。これは真理のように見えるが、頑張ったかどうかという基準は存在しない。したがって、「頑張った」から「高い報酬を得ている」のではなく、市場が報酬の高低を選別し、「報酬が高い人」を「頑張った」として認定している。つまり順序が逆になっているのである。というような内容であった。

 この論理はとてもおもしろい。論理展開が逆転している。まさにコペルニクス的転回である。←言ってみたかっただけ。金持ちであろうが、貧乏人であろうが頑張っているのであるが、金持ちの方がより頑張っている印象を受けてしまう。実際に裕福な家庭に生まれなかった人間が社会的に成り上がっていくというドラマが数多くあるから、誤解してしまう。「頑張る」という行為は成功のための一要因でしかない。運、環境、時代、周りの人間などなどさまざま要因がある。短絡的に「頑張る」さすれば「成功」というふうに因果関係を結んでしまうのは新自由主義者の悪意が滲み出ているように思える。

 結果をみてその人がどれだけ頑張ったかを測るという方法論は現代社会に根強い。学校でテストが返却されるとき、いい点数だと先生が「頑張ったな」と生徒を褒めるし、悪い点数だと先生が「もうちょっと勉強しろ」と言う。確かにテストは生徒がどの程度勉強したかを測るよくできたツールである。しかし、どの種類の「頑張り」かはテストからは見えてこない。私のようにテスト直前にめちゃめちゃ暗記してなんとかいい点をとった不届きものがいるかもしれないし、コツコツやったけれども調子が悪かったり、勉強の仕方が間違っていたりしてあまりよくない点をとってしまった残念なものがいるかもしれない。テストの数字からはこれらのことは見えてこない。教育に限った話ではなくあらゆることがあてはまる。人々は往々にして、結果からその人の「頑張り」を推測するが、正しくない場合が多々あると言うことをこの講義は教えてくれた。

 しかし、「頑張り」の基準がないというのもまた一つの事実だ。結果ばっかりみて努力を見てくれよッ!と言ったところで、どこまでが頑張っていてどこからが怠けているのかというような基準は存在しない。結果をみて判断するというのは非常に現実的である。だからこそ、教育においては生徒一人一人との対話を意識する、経済においては人間一人一人の生活をよく考えるということが大切になってくるのだと思う。

 ここで、ふとディストピアな未来が見えた。医療が高度に発展した近未来。「頑張り」に基準がないことを利用して、医産複合体は「人体が壊れるまで活動するのが努力である」と定義付け、人体が壊れたとて人工内臓や薬で元通りに!というキャンペーンを行う。こうして人々は体を壊すことを美徳だと感じるようになり、医産複合体はめちゃめちゃ儲けるようになりましたとさ。ちゃんちゃん

 なかなか嫌な未来を想像してしまったものである。なんか一本この内容で小説書けそうじゃね!?既存の設定だったらその小説教えてクレメンス!

 大学の講義の内容からだいぶ外れてしまった。講義は当たり外れが大きいけれども、結構考えさせられるものも多いから真面目に受けなきゃなー!!今後もおもしろいと思った講義はこうしてブログに書きたいと思う。もう6:00だ。。。今から眠るかどうか結構悩みどころ。まあ「頑張って」起きてみるのも悪くないかもしれない。