世界、複雑すぎぃ

 夏休みに入り、今日で14日ほどたった。みなさんどのようにお過ごしだろうか。私はゼミ、バイト、読書を中心に生活している。

 

 ゼミの活動は今日で一区切りがつき(とはいってもやることはまだ結構あるけどねっ)、残りの夏休みは読書に明け暮れようと思う。

 

 夏休みで読んだ方は以下の8冊。

安冨歩、本條晴一郎『ハラスメントは連鎖する』

烏賀陽弘道フェイクニュースの見分け方』

深尾葉子『魂の脱植民地化とは何か』

安冨歩『合理的な神秘主義~生きるための思想史』

安冨歩『ジャパン・イズ・バックー安倍政権にみる近代日本「立場主義」の矛盾』

安冨歩マイケル・ジャクソンの思想』

安冨歩満州暴走隠された構造-大豆・満鉄・総力戦』

塩沢由典『複雑系経済学入門』

 

 このラインナップを見てもらえば分かるように私の中で安冨歩さんブームなのである。どの本も新しい気づきを与えてくれる!この方の本にもっと早く出会いたかった!!

 

 安冨歩氏は去年の参議院選挙でのれいわ新選組の初期メンバー10人のうちの一人であり、去年から知ってはいた。しかしこんなにも素晴らしい本を書くとは。。。MMTを掲げる政党としてれいわ新選組は結構注目していたつもりだったが、その中にこんな素晴らしい方がいるとはっ!見落としていた!失念っ!

 

 安冨さんはMMTには基本的に賛同していないし、なんなら国民国家を否定的に見ている方だから、れいわ新選組の中でもかなり異質である。そのような人物がれいわ新選組のメンバーとして活動しているわけであるから、めっちゃ懐の広い政党だなと思う(プロパガンダじゃないよっ、本心)。今、れいわ新選組はいろいろあって大変な時期であるが、このような多様性は失って欲しくないものである。

 

 さて、ここで、一冊ずつ書評でも書いていこうと思っていたのであるが、なんだかめんどくさくなってきた。本当は読んだらすぐ書くがベストッ!ここでは夏休みで読んだ本から学んだことをざっくり書いてみようと思う。

 

 まず、この社会は狂っているということ。狂人が正常なふりをしているのが現代社会である。

 人間は学校教育や親の「しつけ」によって自らの感性を抑圧し、感性(魂)の上に蓋を設け、その上に社会的な自分というものを作る。社会的な自分は、他人を気にし、世間を気にする。評価基準が自分の外にあるから、いつまでたっても満たされない。だから、多くの人間は過剰な労働、過剰な消費、酒、タバコ、気晴らしにふけって心の空白を埋めようとする。

 しかし一方で社会ではそうした人間が成功しやすい。徹底的に自分の感性を殺し、受験勉強を頑張った人間が、偏差値の高い大学に進学し、大企業、官僚、大手メディアに就職する。

 最初から自分の感性を殺す学校教育など相手にしていなければ幸いである。最悪なのが感性を殺しきれず、感性に正直になりきれない人間だろう(私のような人間)。感性を殺しきれば、官僚などのように権力のゾンビとして成功できたし、逆に最初から正直になっていればもっと楽しく生きてこれたのだろう。どちらでもないから、罪悪感を抱えながら楽しむという辛い道を歩んできたように思う。

 社会は自分の感性を殺した狂人たちが闊歩している。まるで自分は正常であるかのように。

 そうした状態から抜け出すにはやはり自分に正直に、感性を大事にして生きていくほかないのだろう。

 ここで感性を信じると人間は上手く生きていけないのでは!と思う人がいると思う。人間は欲深いし、ずるいし、卑怯な生き物であるから、人類全員が感性を開放なんかすれば地球は終わりだっ!と思う人はいると思う。人間の理性でコントロールする必要があるから社会は感性の抑圧を要求するのではないか。感性を殺すとまではいかなくてもある程度抑圧することで秩序が生まれるというのが一般的な考えだろう。

 しかし、その考えは間違っている。我々は理性を過大に評価しすぎている。

 17世紀ころ、ニュートンデカルトの登場は近代の方向性を決定づけた。ニュートン力学では現象を細かく分けて、その中の法則性を発見し、インプットに対してアウトプットが比例の関係にあるというような線形性のある方程式を作ることによって世界の全てを記述しようとした。このような世界観では、データを完全に揃えてしまえば、世界の行く末なども予見できるとされた。

 しかし、それが1970年代に入り、否定されるようになってくる。どうやら世界はそんなに単純ではなさそうだと。線形性のあると思われていた世界の中でも、かなり非線形的な現象が存在するということが分かってきた。人間一人をとってもかなり複雑であるというのが分かってきた。複雑系科学の誕生である。

 こうした科学の「世界複雑過ぎぃ!何もわからん」という態度にもかかわらず、人間は未だに計画を立て、人生を規定したがるということ、それが問題である。

 人間の理性によって、計画を立てて、全身全霊で邁進するというのが正しいとされている。しかし、科学が示しているように複雑すぎて明日のこともよくわからない、そのような状況で計画を立てることに意味はない。むしろ身体感覚や感性に任せる方がよい。なぜならば人間の身体は複雑すぎる世界に日々対応しているからである。

 人の欲深さやズルさなどというのはむしろ理性によって生まれるものである。食べ放題で食べ過ぎた経験は誰しもがあると思うが、気持ちよく店を出ることができるラインを体は知っているのにもかかわらず、食べ放題という環境に引っ張られて食べすぎてしまう。こうした事例が示しているように人間は身体や感性を無視しがちである。人間の理性などというのは実は大したものではないというのが分かる。

 20世紀、最も理性的な国家の1つがソ連だろう。彼らは資本主義によって起こる貧困、格差、恐慌を避けようとして、1国の経済を1つの工場に見立てて人間の理性によって計画を立て、管理しようとした。こうした結果何が起こったかは歴史が示している。経済もまた複雑すぎて分からんっ!!というものの1つである。

 世界は複雑すぎる。そんな世界を計画制御しようとしているから問題が起こる。原発事故や環境問題などはその典型である。

 計画制御できるという幻想は早々に捨てよう。そして自分の感性に正直に生きよう。計画がないと不安かもしれない。しかし案ずることなかれ。人間はこれまでそうやって生きてきたのだから。

 

 

生きる技法

生きる技法

  • 作者:安冨 歩
  • 発売日: 2011/12/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)