昭和96年!?大学と自分の弱さが見えてきた

おはよう!こんにちは!こんばんは!KAIです。先日、大学に対していい加減にしろ!っと思うことあったのでそのことについて書きたいと思います。またその際、自分の弱さも見えてきたので自戒のためにここに記します。少々愚痴っぽくなるかも……

 

 

これが昭和96年のゼミナール活動です

 

先日、私はゼミナール活動のために大学に行った。ゼミで毎年発刊している文集を印刷するためである。ゼミ生から集めた原稿をコピーする。70部。それをホチキスで止めて、テープを貼って………

いい加減にしろっ!!!!

時代は21世紀だぞ!オンライン全盛期だぞ!コロナ禍だぞ!わざわざ人を集めて、文集を手作業で作るとか時代錯誤甚だしいだろ!

ネットにアップロードすればいいだけじゃない?仮に製本するとしても記念に一冊程度だろ!

実際に作業していてイライラしてしょうがなかった。

やはり昭和は終わっていない。令和3年ではなく、昭和96年である。いつまでも昔の作業効率の悪いことを強制する。まるで美徳であるかのように。

もちろん、私は紙で作ることを否定したいわけではない。紙の良さはよくわかっているし、本やら漫画を買うときは基本的に紙である。

だけど、身内に配るだけの文集をコロナ禍にわざわざゼミ生を呼んで作らせますか!?ということを言いたいのである。

 

指摘できない自分の弱さ

 

そして、自分の弱さも同時に痛感した。noteに書くよりもまず、その場で指摘すればいいだけである。

コロナ禍でオンラインの重要性が改めて認識されている状況の中で、手作業で紙ベースの文集を作るのはいかがなものでしょうか。ゼミのホームページでも作って、オンライン化のいいきっかけとしましょう。

と教授に言えばよかったのである。

不満に思ったことはすぐに言う!これが非常に大切である。

僕の短所として「先生」と呼ばれる人間を前にすると、思っていることを言えなくなるというものがある。どこか遠慮してしまい、話を合わせてしまう。きっといい「学生」を演じているのだろう。

「先生」は目の前にいる人間を見ていない。見ているのは「児童」や「生徒」、「学生」であり、物わかりの言い自分に絶妙に合わせる「児童」「生徒」「学生」を好む。そうした性質の「先生」がいる学校に長いこと慣れ親しんだせいで今、大変な目に遭っている。もっと、素直に純粋に生きれば良かったよ!!

僕は自分が思ったことを堂々と言える人間になりたい。たとえ、それが権威ある人や年上であっても。

自分の弱さを再確認させてくれた経験だった。今度は絶対、本人を前にして堂々と批判してやるからなっ!見てろよ!

 

おわりに

 

今後、ゼミとの関わり方を考えなけらばならないと思った。

こういうところに我慢してかかわりを持っていると、自分の感覚が鈍って、感受性が衰え、最悪、ロボットのような人間になってしまう。なるべく、ゼミの大きな集まりなどには参加しない方針で行こう……

一方で、「先生」の前でどこか遠慮してしまうのは悪い癖である。自分の気持ちを人に失礼のない形で伝える力を身につけなければならない。

自分と大学の弱さが同時に見えてきた貴重な経験だったと思っておこう。

 

生きる技法

生きる技法

  • 作者:安冨 歩
  • 発売日: 2011/12/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 安冨歩先生の本。僕の物事を考えるうえでの指針になっている。