堂々完結!!進撃の巨人 感想

おはよう!こんにちは!こんばんは!KAIです。

なんと、ついに、ついに、ついに、ついに、ついに、ついに、ついに、

進撃の巨人が完結してしまいました!!!!!!!!!!!

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4月9日。本日、最終話が公開されまして、堂々完結です。11年7か月にも及ぶ連載が幕を閉じました。諌山創先生には感謝してもしつくせません!!

ありがとう!本当にありがとう!

最終話を読み、僕にもいろいろ思うところがあったので………それをツラツラ書いていくぅ!

最終話のネタバレを含みます!注意してね!

 

僕と進撃の巨人

 

色々書いていく前に、まず僕と進撃の巨人の出会いから……

あれは8年前のことだった……

特に熱中できることもなく、だらだら過ごし、ゴミのような中学校に通う僕。苛烈な環境だったため疲れ切っていた……

そんな日常をぶっ壊したのが進撃の巨人である。それはまるで壁を突き破った超大型巨人を目撃するくらいの衝撃だった!!

ちょうど進撃の巨人のアニメが始まったころだった。

毎週、食い入るようにして見て、漫画を集め、ネットの考察を見て(自分で考察しないあたりね……)、Linked Horizonにはまって、二次創作を見て、友達と語って……

それ以来、進撃の巨人が僕を生かしてくれたと言っても過言ではない。4か月に1冊の新刊が出る。それを楽しみに生きてきた。辛いことがあっても進撃の巨人の最終回読みたいしな……と思うことで耐えることができた。

最終回に近づくにつれ、リアタイの空気を楽しもうとマガポケで1話ずつ見ていった。毎月の楽しみになった。

あっという間に8年の歳月が流れた。

ついに、進撃の巨人が終わってしまった。

実は今のところ喪失感はそんなにない。頼らずとも生きていけるようになった。少しは大人になったのかもしれない。いや、後から追いかけてくるのか……

そんな思い出深い作品である。命を救ってくれた漫画である。

ここからは進撃の巨人最終話を読んで思ったことを書いていく。

 

暴力では何も解決できない

 

進撃の巨人の終盤はかなりバイオレンスだった。

パラディ島のみんなを守るため、エレンは地ならしを発動。森も、大地も、海も、かつて出会った少年も踏みつけ、進撃した。

そして最終話ではエレンは自分が人類の敵となり、それをアルミンたちが討ち取ることで世界の英雄になるという本当の目的が明かされた。

また、地ならしの後、エルディア国ではイェーガー派が「軍」を結成し、パラディ島に報復しようと軍備増強しているという説明があった。

エレンはパラディ島を一時的に救うことに成功したかもしれない。しかし、人類の8割を死滅させた上に、さらなる争いの火種を生み出しただけではないだろうか。

全く問題は解決していないように思う。生き残った人類は結局争いを続けるだけである。これだから人間ってやつは!!

やっぱり暴力では物事は解決できないのではないだろうか。

世の中の真理として力の強いものが勝つというものがある。

権力を打ち倒すにはその権力よりも強い「力」をもってこなければならない。仮に権力を打ち倒したとしても、行き場を失った「力」はさらに民衆を抑圧する。最初に権力がよりも強い力での支配に変わる。

だから、暴力革命には限界がある。それはフランス革命の恐怖政治ロシア革命ソ連の体制を見れば明らかである。急進的な暴力は必ず打ち倒したはずの体制よりも強い抑圧を生む。

このような歴史を見る限り、やはり暴力革命には現状を変える力はない。ガンジーキング牧師が展開した非暴力運動に活路を見出すしかないのかもしれない。

エレンはパラディ島を守るためにその他全ての人類を滅ぼすことにした。いわば敵を殲滅するという究極の暴力で解決しようとした。一方で仲間に自分を殺させ地ならしを止めようともした。

本当に仲間に頼るのならば、自分が見た結末を正直に伝え、アルミンが言うように話し合いでの解決を目指しつつ、さらに非暴力運動を展開する必要があったのではないか。

非暴力運動は単なる綺麗ごとではない。生ぬるい正論ではない。自らの血にまみれた闘争である。ガンジーは命がけで暴力以外の全てを使って抵抗を示した。相手からの暴力を受けながらも、自らは暴力を使わず、あらゆる手段で抵抗する。

エルディア人の無抵抗な闘争を用いて、世界と対峙すべきだったのではないだろうか。そうすればエレンは死ぬ必要がなかったのに……と思うが、やはりそれ以外に方法がなかったのかな……とも思う。

ともかく暴力革命の限界を示した進撃の巨人はすごすぎる作品である。8年読んできて本当に良かったぜ……

 

始まりはハラスメントから

 

最終話でユミルが王を愛していたということが明かされる。愛していたが故に王の言うことを聞いたし、最後に王を守って死んだのである。

しかし、ちょっと待っていただきたい!!それって本当に愛か?

このエピソードを読んだとき、ストックホルム症候群を思い出した。

1973年8月、ストックホルムにおいて発生した銀行強盗人質立てこもり事件(ノルマルム広場強盗事件)において、人質解放後の捜査で、犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明した。また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行った。(by Wiki

ストックホルム症候群人間は他者に究極の暴力を加えられた時、その他者に対して好意を持ってしまうというものである。

それは、命にかかわる暴力を加える他者に対して敵対するよりも好意を持つ方が生き残る確率が上がるからであり、生存戦略として有効だからである。

つまり奴隷であるユミルは王に対して好意を持つことで生き延びようとしていた。愛と称していたものは単なる生存戦略だったのである。意図的というよりかは本能でそれを選択した。

巨人になる力を持っていたのにもかかわらず、逆らわなかったのは奴隷という身分の中で、究極の暴力、ハラスメントを受けていたため、愛であると錯覚してしまったのではないか。

コミュニケーションを適切に行うためには、お互いがお互いを理解しようという学習過程の働きを怠らないことが大切である。相手からのメッセージを受け取ったときフィードバックによって相手の像を更新していく。これをお互いができていればコミュニケーションは健全なものとなる。

しかし、片方がフィードバックを怠り、相手の像の更新を止め、相手だけが学習過程を働かせているとき、ハラスメントは起こる。そして、学習過程を止めた上で、様々な矛盾したメッセージを送り続けることで相手は混乱し、ついに言うことを聞くようになる。

これがハラスメントの理論である。

おそらくユミルは奴隷という身分でかつ舌を切られ話せなかったことで、コミュニケーションをとることができなかった。そして王からの様々な矛盾したメッセージを取り込むことでハラスメントの罠に陥った。そして、その一連のメッセージは全て「愛」故のものだと勘違いした。

進撃の巨人の悲劇はユミルのハラスメントから始まったのである。

しかし、ユミルの悲劇がなければ、エレンは生まれることはなく、ミカサと出会うこともなかったかもしれない。そこが非常に上手くできている。諌山先生はすごいな……本当にやるせないぜ……

 

おわりに

 

まだまだ深堀しようと思えばできると思うが今のところ自分が思いついたのはここまでである。後から気づくこともたくさんあるだろう。

ハラスメントの理論や暴力革命の限界は東大教授の安冨歩先生が本やメディアでおっしゃっていたことであり、最近になって僕が知ったことなので、それが進撃の巨人とつながって驚いた。

それくらい進撃の巨人の射程は広く、深いものであるということだ。

巨人との戦い方、組織のありかた、パラディ島のクーデター、人種問題、政治、暴力革命、あらゆる角度からでも語りうる進撃の巨人。本当にすごい漫画だ……

諌山先生本当にありがとうございました!

あなたの作品のおかげで生きていくことができました。感謝しかないです。

ゆっくり休んでください。自分専用のサウナを作ってください。そして暇になったら、また漫画を描いて下さい!!

ガチのマジの本気でオススメの漫画なので是非読んでほしい!!!!!

さよなら、僕の青春……