抽象的、観念的な言葉に気をつけよう。

 最近Twitterを見ていて思ったのが、右派左派問わず抽象的な言葉を目的に添える奴が多いなということである。

 日本のため、国益を守るため、社会のため、世間への配慮、常識がうんたら、将来のためetc……

 しかし、これらの言葉は空っぽである。日本とは何だろうか、国益とは何か、社会とは何を示しているか、世間とは誰か、常識とはどういったものか、将来はいつからいつまでで確約されているのか。何かを表しているようで、実はざっくりとした括りで適当なことを指しているに過ぎない。

 内田樹先生の本で身体性が伴わない言葉は危険だというのを読んだことがある。観念的な言葉を聞いても体は動かないが、現実に即した具体的な言葉だったらなんとなく筋肉の鼓動を感じるような気がする。

 社会や日本という言葉を使わず、友達や家族、今の生活のためというふうに翻訳した方がよっぽど健康的だろう。そうした方がより平和的だし、牧歌的でなんだか楽である。

 頭のいい人間ほどこうした抽象的で観念的な言葉を使うのが得意である。またそうした言葉を使って人々に啓蒙しようとする人たちは一定数いる。気をつけなければならない。何を指しているのか曖昧な言葉でなんとなく言いくるめられる可能性があるからだ。

 かといって知性を軽んじているわけではない。もちろん抽象的な言葉の中に真理があったりするのだろう。しかし、そうした言葉を目的や対象として置いている場合は注意しなければならない。

 

 

 

トランプ大統領、コロナにかかる

 トランプ大統領がコロナに感染したらしい。これは大きなニュースである。もしかしたらこのニュースは後世の歴史家達がイフストーリーで楽しむための一つの玩具になったかも!?

 アメリカでは今年の11月に大統領選が控えている。コロナにかかったということは世間への露出が減って選挙に不利に働くのではないか。マスクを付けずに集会を開いていたからイメージも悪い気がする。よって最近ちょっとずつ追い上げてきていた支持もバイデンに傾くのではないだろうか。

 こうしてトランプは選挙に負けて、バイデン大統領の誕生!!後世の歴史家達はもしトランプがコロナにかかっていなかったら大統領選はどうなっていたのかという妄想で楽しむのであった。。。

 もしくはトランプはコロナにかかっていたことを理由に選挙期間の延長を求め、なんなら大統領選に関わらず今の地位にしがみつく。。。というのは流石に飛躍しすぎか!

 ともかくこのニュースはかなりBIGである。まさにアメリカンサイズ!!第一次世界大戦後、ウィルソン大統領はスペイン風邪に感染して、アメリカ抜きでのパリ講和会議が開かれ、ドイツに多額の賠償金を請求する事態となった。それが次の大戦の火種となった。

 トランプ大統領のコロナの感染は歴史の分岐点であるに違いない。

 

 

世界、複雑すぎぃ

 夏休みに入り、今日で14日ほどたった。みなさんどのようにお過ごしだろうか。私はゼミ、バイト、読書を中心に生活している。

 

 ゼミの活動は今日で一区切りがつき(とはいってもやることはまだ結構あるけどねっ)、残りの夏休みは読書に明け暮れようと思う。

 

 夏休みで読んだ方は以下の8冊。

安冨歩、本條晴一郎『ハラスメントは連鎖する』

烏賀陽弘道フェイクニュースの見分け方』

深尾葉子『魂の脱植民地化とは何か』

安冨歩『合理的な神秘主義~生きるための思想史』

安冨歩『ジャパン・イズ・バックー安倍政権にみる近代日本「立場主義」の矛盾』

安冨歩マイケル・ジャクソンの思想』

安冨歩満州暴走隠された構造-大豆・満鉄・総力戦』

塩沢由典『複雑系経済学入門』

 

 このラインナップを見てもらえば分かるように私の中で安冨歩さんブームなのである。どの本も新しい気づきを与えてくれる!この方の本にもっと早く出会いたかった!!

 

 安冨歩氏は去年の参議院選挙でのれいわ新選組の初期メンバー10人のうちの一人であり、去年から知ってはいた。しかしこんなにも素晴らしい本を書くとは。。。MMTを掲げる政党としてれいわ新選組は結構注目していたつもりだったが、その中にこんな素晴らしい方がいるとはっ!見落としていた!失念っ!

 

 安冨さんはMMTには基本的に賛同していないし、なんなら国民国家を否定的に見ている方だから、れいわ新選組の中でもかなり異質である。そのような人物がれいわ新選組のメンバーとして活動しているわけであるから、めっちゃ懐の広い政党だなと思う(プロパガンダじゃないよっ、本心)。今、れいわ新選組はいろいろあって大変な時期であるが、このような多様性は失って欲しくないものである。

 

 さて、ここで、一冊ずつ書評でも書いていこうと思っていたのであるが、なんだかめんどくさくなってきた。本当は読んだらすぐ書くがベストッ!ここでは夏休みで読んだ本から学んだことをざっくり書いてみようと思う。

 

 まず、この社会は狂っているということ。狂人が正常なふりをしているのが現代社会である。

 人間は学校教育や親の「しつけ」によって自らの感性を抑圧し、感性(魂)の上に蓋を設け、その上に社会的な自分というものを作る。社会的な自分は、他人を気にし、世間を気にする。評価基準が自分の外にあるから、いつまでたっても満たされない。だから、多くの人間は過剰な労働、過剰な消費、酒、タバコ、気晴らしにふけって心の空白を埋めようとする。

 しかし一方で社会ではそうした人間が成功しやすい。徹底的に自分の感性を殺し、受験勉強を頑張った人間が、偏差値の高い大学に進学し、大企業、官僚、大手メディアに就職する。

 最初から自分の感性を殺す学校教育など相手にしていなければ幸いである。最悪なのが感性を殺しきれず、感性に正直になりきれない人間だろう(私のような人間)。感性を殺しきれば、官僚などのように権力のゾンビとして成功できたし、逆に最初から正直になっていればもっと楽しく生きてこれたのだろう。どちらでもないから、罪悪感を抱えながら楽しむという辛い道を歩んできたように思う。

 社会は自分の感性を殺した狂人たちが闊歩している。まるで自分は正常であるかのように。

 そうした状態から抜け出すにはやはり自分に正直に、感性を大事にして生きていくほかないのだろう。

 ここで感性を信じると人間は上手く生きていけないのでは!と思う人がいると思う。人間は欲深いし、ずるいし、卑怯な生き物であるから、人類全員が感性を開放なんかすれば地球は終わりだっ!と思う人はいると思う。人間の理性でコントロールする必要があるから社会は感性の抑圧を要求するのではないか。感性を殺すとまではいかなくてもある程度抑圧することで秩序が生まれるというのが一般的な考えだろう。

 しかし、その考えは間違っている。我々は理性を過大に評価しすぎている。

 17世紀ころ、ニュートンデカルトの登場は近代の方向性を決定づけた。ニュートン力学では現象を細かく分けて、その中の法則性を発見し、インプットに対してアウトプットが比例の関係にあるというような線形性のある方程式を作ることによって世界の全てを記述しようとした。このような世界観では、データを完全に揃えてしまえば、世界の行く末なども予見できるとされた。

 しかし、それが1970年代に入り、否定されるようになってくる。どうやら世界はそんなに単純ではなさそうだと。線形性のあると思われていた世界の中でも、かなり非線形的な現象が存在するということが分かってきた。人間一人をとってもかなり複雑であるというのが分かってきた。複雑系科学の誕生である。

 こうした科学の「世界複雑過ぎぃ!何もわからん」という態度にもかかわらず、人間は未だに計画を立て、人生を規定したがるということ、それが問題である。

 人間の理性によって、計画を立てて、全身全霊で邁進するというのが正しいとされている。しかし、科学が示しているように複雑すぎて明日のこともよくわからない、そのような状況で計画を立てることに意味はない。むしろ身体感覚や感性に任せる方がよい。なぜならば人間の身体は複雑すぎる世界に日々対応しているからである。

 人の欲深さやズルさなどというのはむしろ理性によって生まれるものである。食べ放題で食べ過ぎた経験は誰しもがあると思うが、気持ちよく店を出ることができるラインを体は知っているのにもかかわらず、食べ放題という環境に引っ張られて食べすぎてしまう。こうした事例が示しているように人間は身体や感性を無視しがちである。人間の理性などというのは実は大したものではないというのが分かる。

 20世紀、最も理性的な国家の1つがソ連だろう。彼らは資本主義によって起こる貧困、格差、恐慌を避けようとして、1国の経済を1つの工場に見立てて人間の理性によって計画を立て、管理しようとした。こうした結果何が起こったかは歴史が示している。経済もまた複雑すぎて分からんっ!!というものの1つである。

 世界は複雑すぎる。そんな世界を計画制御しようとしているから問題が起こる。原発事故や環境問題などはその典型である。

 計画制御できるという幻想は早々に捨てよう。そして自分の感性に正直に生きよう。計画がないと不安かもしれない。しかし案ずることなかれ。人間はこれまでそうやって生きてきたのだから。

 

 

生きる技法

生きる技法

  • 作者:安冨 歩
  • 発売日: 2011/12/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

語りえないことは沈黙しなければならない。

 この頃日本で流行るもの。コロナウイルス。虚言。差別。搾取。東大話法。ルー大柴ばりの英語。責任のなすりつけ合い。楽観論。投機的な取引。汚職。ヤリチン。ヤリマン。不倫。レイプ魔。欺瞞。無能な政府。職業倫理の欠如。なんかやってる感。世論操作に長けたマスコミ。正義と称したリンチ。思考停止野郎。ハラスメント。ネトウヨ

 この時代に生まれて令和を迎えたが、不思議なことばかり見聞きする。ここでは日本の人々が口ずさんでいる噂の十分の一を漏らしただけにすぎない。

 二条河原落書をパクって書いてみたが、結構言葉がいろいろ出てくるので自分でも驚いている。国が傾きかけているまさにその時に生きており、その歴史を間近で見れるのだから幸運かもしれない。

 Twitterを見ているとこの後に及んでまだ政権を批判するなと言っている人がいた。もう危機は迫っているから政権批判などしないで自己防衛に努めてください!というような中身ならまだ分かるが、検査数に比べて感染者が少ないので安心して的な中身であった。

 そのデータを見て、今後感染者が増えないとどうして言えるだろうか。今後、爆発的に増える可能性は考えられないだろうか(Go Toキャンペーンなどという愚策を実行しようとしているわけだし)。

 こうした楽観論は非常に危険である。しかし、Twitter上は幻想の中。みんなが見たい夢を見ている。そしてその夢が壊されそうになると噛み付いてくる。安倍政権を批判するな!日本を差別するな!というふうにである。

 なんだかあきれちゃう!しかも友達がそういうこと言ってるのを見てると特にね!

 私の高校時代の友達がまさにそういうツイートをし、リツイートをし、いいねを押しているのでびっくりしている。まじかよ。。。orz

 まあそんなことはどうでもいいのである。本題は社会は価値について語らなくなったということである。

 「人それぞれだよね」という言葉は無敵だ。真理である。人はそれぞれいろいろな考え方、価値観、宗教、思想を持っている。それをお互い尊重しましょう。人に迷惑をかけない限りは。というのがある種お決まりになってきている。

 さらには価値を語るのはなんだかダサいという風潮もある。これは日本だと多分、1980年代くらいからだと思うが、政治なんかに熱くなっちゃってる笑とか社会問題に関心持つ奴ってさwみたいな空気が全体的に醸し出されている。皮膚感覚ではあるが。

 社会は価値に関して語ることをやめ、個人はミクロの世界に閉じこもった。実存にうじうじ悩み、恋人が、親が、友達が、趣味がどうだとかについて終始するようになった。そんな気がする。

 その結果がこのザマである。人々は自分の頭で考えられなくなり、トップダウンで決めてくれる政府にすがるようになった。

 選択するのはとてもストレスがかかる。難しく、めんどくさい。だから人々は個人を支える社会の方向性を政府に委ね、しょーもない恋愛笑、友情笑、趣味笑、仕事笑にひたむきに頑張るように見せかけるわけである。

 どうせそんな奴らの恋愛感、友情感、趣味、仕事などは他の奴らと大差ない。あまりをキョロキョロ見ながらなんとなく決めているだけである。思考停止に陥っているからだ。まあ偏見だけどさッ!

 学校では相変わらず30年前と変わらず知識偏重の画一的で周りと同じであることを強いる教育を行なっている。その結果、周りの人間とのポジション取りにひたむきに取り組み、マウントを取り、それが幸せであると思い込む人間が大量にでき上がった。そして、組織や集団内での役割や立場を自分のアイデンティティだと勘違いし、なんとなく窮屈だけどそれが幸せなんだと勘違いする連中を量産した。人々は与えられたアイデンティティを踏みにじられたくないから必死で抵抗する。自分で育てたものではないのに(この辺の話は安冨歩先生が詳しく書いている)

 とにかく自分の頭で考えられない人間は多い気がする。それは前述した、学校教育の影響が大きいだろう。自分の感性を殺し、学校に適応して行こうと努力したものほどその傾向が強い。私もまた学校教育を割と真面目に受けてきたので、自分の頭で考えられているかどうかは怪しい。

 こうして人々は思考停止し、価値を語ることをやめた。そして我々はまさに価値を語らなくなった社会が崩壊していく様を見ているのだろう。

 価値観を語ること=価値観を押し付けることではない。価値観の押し付けの究極はファシズム社会主義国家のような全体主義である。

 だから価値観の押し付けは避けなければならない。一方で価値観に無関心な社会は、そのまま社会の無関心につながり、政治の無関心、弱者の無関心につながりかねない。

 どうすればいいか。最近私が注目しているのがウィトゲンシュタインである。彼は論理哲学論考の中で「語りえないことは沈黙しなければならない」と記述している。これはアリストテレス以来の哲学は言語の混同によって引き起こされたのであり、哲学の役割とは言語を正しく使えているかどうかを指摘するのにとどまる。故に、言語の役割を超えた部分においては沈黙しなければならないとした。

 ウィトゲンシュタインは語りえる部分と語りえない部分の境界を引こうとしたのである。

 価値観とは語りえる部分に入るのか、入らないのか。語りえる領域に入る場合、どこまでがその範囲なのか。語りえない場合、社会に置いてもはや価値について話し合う必要はなくなるのか。

 それらが最近の私の関心である。私は経済学部に所属しているが、経済学の体系は価値論から始まっている。そうであるから価値について考えることは経済学について考えることになるだろう。

 まだ少し知識をかじっただけの人間である。何か根本的におかしなことを言っている可能性がある。その時はコメントで教えてほしい。

 果たして、価値とは語りえるものか、語りえないものか。語りえないのならば沈黙しなければならない。そして社会は崩れ落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

野菜のかき揚げと都知事選とエモいバンド

①野菜のかき揚

 今日はバイトが夜にあって中途半端な時間に夕食を食べたくないので、早めにバイト先に行き、丸亀製麺ぶっかけうどんと天ぷらを食べました。

 うどんはヘルシーでカロリーがそんなに高くないのに満足感がある食べ物です。天ぷらは、野菜のかき揚げ、かしわ天、春巻きをチョイスしました。天ぷらの中に春巻きあるやん!珍し!!と思ったので春巻きを選び、後は適当に選んで合計720円。

 安い!美味い!さっさと食える!というファストフードの三原則をしっかりと遵守した、そんな丸亀製麺でした。全ての食に感謝。

 最近、ダイエットをしていてそういえば全部で何キロカロリーあるんだろうと思って、調べてみたらなんとびっくり1300キロカロリーぶっかけうどん、春巻き、かしわ天までは600キロカロリーくらいでまあそんなもんか、今日は何も食べてないしなくらいに思っていたのですが、野菜のかき揚げが690キロカロリーくらいある。。。だと。。。

 フリーザの戦闘力53万くらいの衝撃!

 Dioのスタンドが時を止める能力だったのを知ったときの驚き!

 藍染を倒したと思ったら雛森だったくらいの絶望!いやこれはそんなに絶望してないか。

 野菜のかき揚げはどうやらめちゃくちゃカロリーが高いので皆さん食べ過ぎには気をつけましょう。

 

都知事

 そういえば、最近小池百合子さんが都知事選で勝利し再選されました!おめでとうございます!なんだか涙が出そうです!

 小池百合子さんといえばカイロ大学で学んだ堪能な外国語を用いて都民のために一生懸命働いておられる方です。まるで意識高い系大学生みたいな語彙力なんですよこれが!おっと。

 さらには公約達成ゼロで当選という歴史的な快挙です!都民はちょろいですね!当選した後すぐに東京都の感染者は200人を超えております。でも、都が助けてくれると思わないで!これからはユリッペの言うように「自粛から自衛の時代」だから!みんな等しくコロナの死の踊りに付き合ってサタデーナイトフィーバー!!!ジュリアナ東京は終わらない!

 都民の阿鼻叫喚を肴に酒が上手くなるんだろうなぁ。これからが楽しみです。でもしょうがないよね、都民の決断だもの。

 小池百合子様万歳!ありがとう!これからもなんかやってる感を出して長いこと都知事を務めて、弱者を切り捨てて、搾り取って、総理大臣まで駆け上がって下さい!

 日本の未来は明るいなぁ!

 

③エモいバンド

 最近ようやくエモいという言葉が馴染んできた。最初聞いた時、まるでその実感がないので、どういう状態を表す言葉か分からず適当に使っていたが、ようやく分かりかけてきた。

 私の中ではようはゾクゾクくるような感覚がエモいってことなのかなと思う。

 言葉だけが一人歩きして、実感が湧かないというのは良くあるが、分かったときは気持ちいいね!!私の中では、サンホラ、マキシマムザホルモンブルーハーツとかを聞いた時にあーエモいなぁと感じるのである(たまに筋肉少女帯)。

 先週、山田玲司ヤングサンデーでエモいについて取り上げていた。エモいとは何か、その歴史とゼロ年代批判的なことをやっていたが、やっぱり定義が曖昧なのでジョジョ3部のスタンド、ジャスティスを相手にしているかのような感じであった。

 ウィトゲンシュタインソクラテス以来の哲学は言語の混同によって混乱が生じているとして批判していたが、使う言語の定義が人それぞれ違うというまさしくそんな感じの番組の流れであった。

 しかし、その中でおっくんが狭義のエモについて述べていて、めちゃくちゃ納得した。

 暇を持て余した四大卒の書いた薄い詩

 未来に行くわけではなく過去を懐かしむ感じ

 なんちゃって諸行無常

的な感じの定義であった(ちょっと見てから時間が経っているので過不足あるかもしれない)。

 みんなが好きなロックバンドを聴いても自分のことを歌っている実感がなく、ただの音の羅列に聴こえる時がある。そういう時の歌詞は、なんだかキラキラしているし、青春感あるし、メンヘラ感あるしで、何も響いていない。

 みんなは熱狂していて、それに合わせてはしゃいでみせるが心は奮い立たない。それが俺は変わっていて、社会不適合者なのかなと思っていた。他者との断絶を感じていた。

 おっくんの狭義のエモを聴いて、なんだか救われたような気がする。なんだ、俺と似たようなこと思ってるやついるやんけ!

 ダサいし、浅いし、陽キャぶってるし、自己憐憫だし!そのくせ社会問題には関心がなく、半径3メートルの感性で完結してるし!

 こんな曲が心に響くわけない!(何とは言わない)

 その点、俺の好きなバンドは違う!サンホラは圧倒的メロディセンスと歴史、神話、思想を感じられる!マキシマムザホルモンはユーモアと亮君の独特の感性が癖になる!ブルーハーツは傷つきながらも素朴に生きていこうという人間賛歌感がある!

 別におっくんの言う狭義のエモを歌うバンドを馬鹿にしたり、下に見ているわけではない。俺には刺さらなかったというだけである。

 今後は他人なんかと比べずに、自分の中のエモを育てていきたいと思えるそんな回であった。🖕🖕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界システム論講義 感想

 最近、休職期間が終わりバイトを再開している。気になるのが、コロナ自粛期間中に調子に乗った鳩どもが糞を撒き散らしているという現状だ。「平和の象徴」として知られている鳩の糞を掃除することによって金を貰うという構図はなんだか「世界システム」と同型である気がする。19世紀のイギリスの繁栄や20世紀中頃のアメリカの繁栄をパクス•ブリタニカ(イギリスによる平和)とかパクス•アメリカーナ(アメリカによる平和)と呼ぶが、平和の裏側で糞の掃除を押し付けられた人々がいた。そうした歴史を辿っていくのが川北稔氏による『世界システム論講義』である。感想書いていくゥ!

 

           感想

 この本は「近代ヨーロッパ世界システム」が地球上を席巻していく歴史を記したものである。もともと、世界は地球上に複数存在し、「中華世界」や「インド世界」、「地中海世界」がその例である。このような世界は1500年前後から次第に「近代ヨーロッパ世界」に吸収され、「世界=地球」となるのにはそう時間はかからなかった。

 「世界システム論」とは発展の歴史を各国で見ていくのではなく、また、単直線的に見ていくのではなく(イメージとしては各国にレールが敷かれていて、競争している。先進国は後進国よりも先んじている。後進国は先進国のようにならなければならないという決めつけがそこには存在する。)、世界を「中核」と「周辺」で見ていくというものである。中核は複数あり、その中で頭一つ抜けているのが「ヘゲモニー(覇権)国家」である。世界史的にはヘゲモニー国家は3つ、オランダ、イギリス、アメリカである。先進国は勤勉で真面目に働いたから工業化でき、後進国はそうではなかったから低開発に甘んじているというわけではない。中核によって周辺は食料、原材料生産地として「開発」されたが故に経済、社会は歪み、工業化できなかった。このように歴史を見ていくのが「世界システム論」である。

 この本では「近代ヨーロッパ世界」のトップに君臨していた国をそれぞれ見ていっている。ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、アメリカである。今回、感想を書くにあたり、それぞれについて細かく書くようなことはしない。面白いなと思ったところをピックアップしていく。

 

カリブ海の砂糖王と南アメリカのタバコ貴族

イギリスはアメリカ大陸を支配下においていたことは教科書に載っていると思う。そして支配した地域において、奴隷を用いてプランテーション農業を行っていた。カリブ海地域では砂糖をアメリカ南部ではタバコを生産させた。アメリカ南部のタバコのプランター(おそらくプランテーション農業の監督者)はとても裕福だった。彼らはイギリスのジェントル階級を真似た生活様式を取り入れ、地元の名士として活動した。タバコのプランターを「貴族」と呼ぶなら、カリブ海の砂糖のプランターは「王」であったという。タバコのプランターよりも裕福であったから、砂糖のプランターたちはカリブ海に定住することなく、イギリス本国に帰国する。自らの子どもをイギリス本国で教育させ、そのままイギリスに住み着き、政界に進出する。議会で影響力を持ち、砂糖を徹底的に保護させるのである。

 こうした従属地域への不在というのがのちの開発に大きな影響を与えるというのがとても面白いポイントである。タバコのプランターは砂糖のプランターよりも儲けられないから従属地域に住むしかない。結果、自分たちが住みやすいようにいろいろな施設を作ったり、開発を行う。それが共通の社会資本になる。「貴族」のための道は「奴隷」も歩くことができるのである。一方、砂糖のプランターはイギリス本国での生活を享受していたため、カリブ海の開発は行わない。それが独立した後の発展に影響を与える。アメリカ南部がプランテーション農業の歪みを受けながらも発展できたのは植民地時代の開発のおかげであったというのはとても興味深い。ただ、一方でイギリス本国からの影響が抑えられたアメリカ北部は独自の発展を遂げた。アメリカ北部、南部、カリブ海の格差というのはこういう風に説明できるのである。

 

②誰がアメリカをつくったか

アメリカは多様な人種が存在している。17,18世紀のイギリスからアメリカに渡った人々がその最初である。一体どのような人々であったか。アメリカではイギリスの中流ピューリタンが宗教の迫害からアメリカ大陸に渡り、自由の国アメリカを作ったと言われているが、本書ではそれを「建国神話」と切り捨てている。アメリカに渡ったものの多くは「年季奉公人」であり、白人債務奴隷ともいわれる人たちであった。食うに困った人間、犯罪者がアメリカに渡ったという。痛快な文章があったので本文を引用する。

アメリカ合衆国のような立派な国が、イギリスのクズのような下層貧民によってつくられたはずがない、というWASPの「愛国主義」が、しばしば歴史の客観的な評価を妨げたからである。』

アメリカの始まりは黒人奴隷とイギリスの下層貧民であるという事実は植民地支配の残酷さを表している。「自由の国」はあらゆる面で不自由な人たちによって作られたというのは歴史の皮肉である。本書ではこの後、イギリスにとって植民地とは原料の供給地であるとともに、社会問題の「ゴミ捨て場」であったということが書かれている。オーストラリアなどは犯罪者の流刑地であったことは有名であるが、その辺のことが詳しく書かれている。興味深いので、是非本書を手に取って読んでみよう!

 

 本書では特にイギリスのことを事細かく書いている。おそらく、専門がイギリスだからなのだろう。故にアメリカのヘゲモニーについては随分あっさりしていた。その辺は自分で調べてみようと思う。現在、中核、周辺の関係はどうなっているのだろうか。自分なりに大学講義での内容を踏まえて書いてみたい。

 現在では中国の台頭がめざましい。「世界の工場」としての名声をほしいままにしている。そして次なる覇権を狙って国家主導で開発に勤しんでいる。中進国のわなという言葉がある。低開発国が中進国までのし上がるには大量の安い労働力の投入すれば良いが、中進国になった時、低開発国の追い上げと先進国の技術には敵わず開発が停滞するというものだ。中国は現在そのような状況を打破するため、国家をあげて次に世界を席巻するであろう技術(5Gなど)を確立することに力を入れている。そうした行動は覇権国家への歩みともとれるだろう。近年のアメリカとの対立は次の「ヘゲモニー国家」を争ってのものである。

 中核に対する周辺地域は現在どのようになっているか。ここで登場するのがGVC(グローバルバリューチェーン)という概念である。GVCとは直訳すれば国際的な価値連鎖であり、多国籍企業の1単位のモノを作るときの生産工程の世界への分散のことをいう。例を挙げると、アップルがスマホを作る時、設計はアメリカで行い、原料はアフリカで調達、液晶は台湾で製造し、組み立ては中国で行うという感じである。1990年代以降、ICTの発展に伴って、先進国の高技術と途上国の安い労働力が結びつくというのが可能になった。途上国は多国籍企業のGVCに加わることによって発展することができるようになった。一方で途上国の低賃金労働などが問題になることが多い。周辺地域は植民地支配されないにしても、GVCの最も利益が得られない分野での生産(原料の調達や組み立て)にしか加われないというのが現状である。ただ、先進国の絶対的な優位というのは揺らぎ、南北の格差は縮まってきている。

 中核においても異変が起こっている。ICTの発展以前は製品の組み立ては先進国内でやっていた。アイデア移動のコストがあるためである。ところがICTの発達によって、アイデア移動のコストは下がり、工場を安い労働力が得られる国に移動させる動きがあった。こうして、先進国内の工場労働者は没落していった。そうした人々がポピュリズム政党を支持していき、トランプのような大統領が生まれたのである。

 今後、中核であった国は高い技術力を保持できない場合、中進国にとって代わられる可能性がある(日本は危うい気する)。また、周辺国はGVCに加わることで、中進国レベルまで発展することができるだろう。ただ中国のように覇権を狙う場合、国家主導での開発を行わなければならないし、中核国との対立は避けられない。

 

 

 

 

 

僕の小規模な失敗 感想

 最近は1週間が経つのがとても早い。月曜日は授業を受けて課題をやってyoutubeを見て寝る。火曜日は1限の結構難しい講義(先生がむかつくが有能であり、講義は面白いため脳が破壊される)を必死こいて受けて課題をやって寝る。水曜日は英語の授業を適当に受けてyoutubeを見て寝る。木曜日は4限と5限の講義を必死こいて受けて、直前まで溜め込んだゼミの課題を夜遅くにヒイヒイ言いながらやりつつ金曜日を迎え、1から5限まで講義を必死こいて受けて課題をやって寝る。土日はバイトにいってダラダラ過ごしたらもう月曜日ッ!なんと非生産的か!なんと堕落していることか!日々の雑務に追われているだけではないか!今回読んだ作品はそんな私にぴったりの漫画である。

 それが『僕の小規模な失敗』である。作者は福満しげゆき先生。この漫画は作者の自分語りである。最近、『GANTZ』でお馴染みの奥浩哉先生が福満先生の4コマ漫画をリツイートし、バズった。その4コマ漫画が結構面白く、単行本を買ってみた次第である。感想書いていくゥ!

 

                 あらすじ

 このままではすべてがダメになる!そう思った「僕」は工業高校を中退し、なんとなく漫画家を目指す。しかしあっさり挫折し、定時制高校に入る。このとき、18歳。勉強もできず、モテず、漫画もパッとしない。「僕」の将来はどうなってしまうのか!?

 

                  感想

 この漫画を読んで真っ先に思ったのがこれワシのこと書いてへん??である。「僕」はめちゃくちゃ根暗である。勉強はできず、モテず、漫画も上手くいっていない。そんな「僕」は毎晩天井をじっと見ながら人生に絶望するのである。この心情めちゃくちゃに共感できるッ!なんか寝る前に不安になるやつッ!人生への漠然とした不安というものを上手く描いている。

 そんな「僕」はなぜか行動力はある。定時制高校に入ると、何かしなきゃという思いに駆られ柔道部を1から作り(というのもその高校には柔道部がなく、部員を5人集めることができれば部を作ることができた)、大会でそこそこの成果を出す。漫画家を諦めきれなかった「僕」は出版社に漫画を何本も持ち込む。漫画を描くためのモラトリアムを得るため、大学進学を考えた「僕」は推薦を得るため生徒会に立候補する。などなどめちゃくちゃ行動するのである。もうどうにでもなれという気持ちである種の破滅願望があるのではないかと思うが、それでも行動し、ある程度プラスに働いている。

 こうした「僕」の姿を見ていると絶望的な気持ちになると同時に希望も湧いてくる。私は勝手に「僕」を自分と同じ人間なんだと思って読んでいたが、結果行動力あるすげぇやつじゃん。。。とガッカリした。ダメ人間は同じダメ人間を見つけて安心したくなるものである。あいつがダメなんだし俺がダメでも大丈夫とある種の開き直りをしたくなるものである。一方で、似たような人間「僕」が行動して人生にプラスにはたらいているところを見ると俺でもちょっと頑張ればこうなれるんじゃね!と思わせてくれる。この作者は自分の弱さを隠さず見せてくれる。正直さが読んでいて伝わるから自分に真摯に向き合ってみようと思える。

 この漫画には後半に最大のミステリーがある。というのも、「僕」はずっとモテないでいるのだが、とある女性(いわく美人らしい)に恋に落ち、ストーカーし、最終的に結婚するのである!?ストーカー行為に及んでいるのにもかかわらず、結婚とはこれいかに!?こう書くとストーカーといっても若気の至りを誇大表示してるだけでしょ!と思われるかもしれない。しかしまごうことなきストーカーである。以下がその行為である。なんどもしつこく交際を迫る。なんどもしつこく電話する。その結果、女性から「あなた怖い、もう会わない」と言われる。においをかぐ。セクハラする。あなたはストーカーじゃありませんか?という手紙をもらう。使用済みのストローなどを集める。結構やばくね!?正規のストーカーだ!しかし、何故か付き合い、結婚に至るのである。女性側の視点がないため何故結婚しようと決めたのその動機が分からないッ!シャーロックホームズもコナンも金田一も解き明かせない究極の謎である。勝手に「僕」と自分を重ねていたのが恥ずかしくなってきたぞッ!こいつリア充やんけ!

 とまあ終盤に最大の謎が訪れるという浦沢直樹先生もビックリの展開であるが、やはり「僕」のメンタリティには共感を覚えるし、青年の不安感を丁寧に描いた名作である。福満しげゆき先生はあとがきで「死にたい」や「生きているのがイヤ」と思っている自分を肯定してみようとこの漫画を描き始めたという。作中で「僕」は人生に絶望しながらも、どこか社会と折り合いをつけて生きていこうとしている。ダメながらも行動している。そうした姿勢は読者の胸をうつし、辛いけどもうちょっと生きてみようという気にさせてくれる。この漫画を通じて自分と向き合いたいダメ人間諸君は是非読んでみてはいかがだろうか。

 

 

僕の小規模な失敗

僕の小規模な失敗