人は死に憧れている

 最初のブログからかなり時間が経っている。継続することは難しいことだ。アウトプットのために始めたブログだが、アウトプットどころかインプットもあまりできていない有様だ。

しっかりしなきゃね!

 先日、兄貴から勧められて伊藤計劃の『ハーモニー』を読んだ。その中で、人には自分の臓器やらをいじめる権利があると、とある人物が言っていた。

 私はそこでふとあることに気がついた。人は死に憧れているのではないかということである。

 調べてみると人は死ぬ瞬間に快楽物質が出て幸福のうちに死ねるという。(そのサイトの信憑性はともかく)人はそれを遺伝子的に知っていて、だからこそ生きる上で合理的でない行為をするのではないか。タバコは肺を真っ黒に汚す。酒は肝臓を目一杯働かせる。ドラッグは脳を異常なほど興奮状態にする。どの行為も体に働きかけ正常ではない状態に陥らせ、体は正常化しようと目まぐるしく動くのだ。自らの体を痛めつける行為は死に直結する可能性がある。だからこそそれに反応して、快楽物質が出ているんじゃないかと思った。痛めつける行為に依存性があるのは死が運命づけられ、それを避けようともがきながらも人は快楽を求めてしまうからなのではないだろうか。

 多分、全然医学的じゃないんだろうし、論理的でもないがそう思ってしまったのである。

 死ぬ瞬間に快楽物質が出ると言っても、死ぬのは怖い!だから、程々に体を痛めつけてやろうかなとおもう次第である。